例えばの話。水曜日の朝8:45。あなたは、会社に向かうためにいつもの駅で降りる。すると、どうだろう。駅のホームのほとんどの人が耳に何かの器具をつけている。補聴器だろうか、何かのキャンペーンだろうか。
改札を出る。え?!ここでも、補聴器をつけている人だらけだ。なんだ、俺は夢でも見ているのだろうか。
上の例え話、補聴器をメガネにかえてみて欲しい。いつものよくある風景に戻らないだろうか。いや、正確ではない。今はコンタクトレンズもレーシック手術もあるから、そこまでメガネ人口はいないだろう。しかし、「そのままではよく見えない」という人がとても多いということは確かである。
視覚を使い過ぎている
なぜ、視力の低下が起きるのか。まだ、はっきりとした原因は分かっていないらしい。だが、やはり特に近くのものを見すぎることが一因となっている。と、眼科医が言っていた。これは、素人の私でも十分納得のいく原因だ。
言うまでもなく、人は五感で情報を受け取っている。しかし、こと現代においては、人は視覚からの情報に頼りすぎているきらいがある。ラインやインスタなどが代表例であろうか。普段の何気ないコミュニケーションから始まり、旅行先での体験や美味しそうな食べ物までをもなんとか視覚に訴えようとするわけだ。
鼻の近くでくさやみたいなものを置き、その強烈な臭いをかぎまくっていたら鼻がおかしくなるだろう。耳の近くで大きな音をならしまくっていたら、聴覚異常になるだろう。そんな当たり前に異常なことを、目に関しては日々当たり前に普通に行っているのである。
視覚と精神の関係
「いや、でも結局メガネもコンタクトもあるし。さらに、レーシック手術やったら普通に見えるし良くない?」
確かに「見る」 という点に絞れば、それでも良さそうだ。でも、この視力低下者の多さとウツ病を始めとする精神病患者の増加って少なからず相関関係がありそう。と、私は勝手に思っている。何も調べずに偏見で言っているだけなので、ホントに勝手な話なのだが。
と思っていたら、こんな記事を見つけた。
視覚の不都合が気分障害(うつ)の症状を生じさせることはよくありますし、精神の病が視覚に影響することも 稀まれ ではありませんから、両者の境界は鮮明ではありません。
なるほど。「心療眼科」という言葉、何年か後には普通に聞くようになるかもしれませんね。