以前、このような本を読んだ。
- 作者: 管賀江留郎
- 出版社/メーカー: 洋泉社
- 発売日: 2016/05/11
- メディア: 単行本
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タイトルのとおり、なぜ道徳感情が人を誤らせるのかというのがテーマ。それを冤罪という串にさして書かれている大変おもしろい本だった。
そして、この本の「ではどうしたら誤らないのか」というところに、アダム・スミスの「公平な観察者」の話があった。自分の中に常に「公平な観察者」を持てというのだ。そうすれば、自らの感情や他者からの評価に惑わさせることが少なくなると。
確かにそのとおりだ。と、私はおもった。しかし、「確かにそのとおりだ」と感じるだけでそのまま通りすぎていきそうな言葉だな。とも感じた。良い言葉だが、大半の人にとっては価値観が変わるまでには至らないのではないだろうか。
もっと、しっくりくるようなモノはないのか。そう思っていたとき、私は永井均氏の「比類なき私」に出会った。パッと見、公平な観察者より比類なき私の方が圧倒的に分かりづらい言葉だ。しかし、パッと見て分かりづらいこの言葉こそ、公平な観察者以上に公平な観察者を表しているように感じた。なので、「比類なき私」を説明していきたいと思う。
比類なき私とは何か
比類なき私とは何か。この説明を行う前に、予めことわっておく。実は、私はまだ永井均氏お一人の著書を読んでいない。「比類なき私」の話は、先日読んだこの本によって初めて知ったのだ。
- 作者: 藤田一照,永井均,山下良道
- 出版社/メーカー: 春秋社
- 発売日: 2016/09/20
- メディア: 単行本
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なので、このことを前提としてラフな感じで聞いて欲しい。
乱暴に結論から言ってみる。結論は、私には「私」と<私>の二種類いるということだ。
「私」はみなさんに馴染みがある。
例えば。私は28歳女性。名前はユカ。独身。福岡県福岡市在住。A型。中古パソコン販売会社「パソウル」事務職。
これは、ユカ自身から見ても私だし、ユカを知っている他の人から見てもユカ(私)だ。つまり、自他ともに認める「私」だ。
だが__。もし仮に、ユカのクローンがいたとしたらどうだろう。姿形だけではない。生い立ちも育った環境も考え方や価値観も全てユカと同じなのだ。他者から見れば、ユカもクローンもユカだ。どっちがどっちかなんて絶対に区別できない。しかし、ユカ本人からしたら、どちらが私なんかは一瞬で分かる。よもやクローンの方を私と間違うことなど絶対にない。あり得ない。
「じゃあ、なんでクローンが私ではなくて、私の方が私なの?」
そう聞かれたらどうだろう。理由を説明だろうか。いや、無理だ。なぜなら、何の因果関係もないから。「○○だから私に違いない」という要素が1つもないのだ。でも、間違いなく私は私なのだ。何の因果関係もないが、間違いない私なのだ。決してクローンではない。ここに出てくる私が<私>である。
このまま、クローンで話を引っ張ってみる。
ユカはある日、結婚を約束していた彼氏にフラれることになる。彼は他の女と浮気していた。さらには、その女と結婚するらしい。
つらい。いっそ死んでしまおうか。あんな最悪な男が幸せになることも許せない。いっそ殺してしまうおうか__。感情がより激しくなり妄想がとめられなくなると、もしかして本当に行動にうつしてしまうこともあるかもしれない。
しかし、もしそんな辛い目にあったのが実はクローンの方だったら__。で、<私>の方のユカは、その様子を見てるだけだったとしたら。確かに、つらく悲しむのは変わらないかもしれない。しかし、自暴自棄になって混乱を起こすまでのことは多分ないだろう。
最後に
これが、永井均氏の言う「比類なき私」__ではない。最初にもことわったとおり、自分なりのアレンジを加えてしまっていて雑な説明になっている。なので、ちゃんと知りたい方は永井均氏の著作を読むことをおススメする。
- 作者: 永井均
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 1998/02
- メディア: 単行本
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先に申し上げたとおり、アダム・スミスの言う「公平な観察者」は永井均氏の「比類なき私」とかなり共通しているのではないかと思う。