マインドフルネス(瞑想)がイマイチな人にオススメ

「悟らなくたって、いいじゃないか」が面白かったのでツマランという人の意見に触れてみる

更新日:

 

 

「悟らなくたって、いいじゃないか 普通の人のための仏教・瞑想入門」 (幻冬舎新書)
プラユキ・ナラテボー (著), 魚川祐司 (著)

この本の面白さについては、また別の機会に書くとして。この本がつまらないという人の意見に触れてみたく、amazonでレビューチェックをしてみました。

 

悟らなくたって、いいじゃないか 普通の人のための仏教・瞑想入門 (幻冬舎新書)

悟らなくたって、いいじゃないか 普通の人のための仏教・瞑想入門 (幻冬舎新書)

 

今日(2016/11/27)時点で、★★(星2つ)と★(星1つ)が1名ずついますね。

まずは★★の方を見てみます。

 

 

★★(星2つ)の方の意見にふれる

 

ちょっと私には…

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これは面白いですね。というのもコノ本、きっと著者や編集者が努力を重ねて、極力平易な言葉にしたように私は感じていたからです。

実際これは仏教の修行者向けではなく、いわゆる普通の人向けに書かれたものです。あ、決してこのレビュアーさんをディスってるわけではないんですよ。面白いのはこの本の表現は難しいという一方で、プラユキさんの教えや本は分かりやすくて随分読んで実践してきたと、このレビュアーさんがおっしゃっている点です。

つまりプラユキさんが、普段どれだけ一般の方にやさしく響くような表現をされているかということなんですね。正直なところ、これまでプラユキ氏に対して良い印象も悪い印象も私は抱いていませんでした。しかしこのレビューを読む限り、一体どんな表現をされているのか興味を持ちました。

 

★(星1つ)の方の意見にふれる

 

次に★(星1つ)の方です。

 

結論ありきなので注意

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これも面白いですね。見ていきましょう。

 

仏陀は相手によって語る内容を変えていた

 

そもそも、「悟り」などという言葉自体、主には禅の方でいわれる言葉であって、テーラワーダでは「解脱」である。
悟りと解脱を、(恐らく分かっていてであろうが)同じものであるように「悟り」という言葉で論じ、数人の人を例にして、それがあたかも多数であるかのように話を展開し、「悟らなくていいじゃないか」という話に終息させようという「ベクトル」が気持ち悪く感じられた。

 

このレビュアーさんは、恐らく「悟らなくたって、いいじゃないか」のターゲット層から大きくハズレている人なのでしょう。

文中にも書かれていた(っけ?)とおり、この本はいわゆる普通の人に向けて書かれています。テレビタレントさんがよく言う「シロウトさん」ですよね。

もちろんの事このレビュアーさんが指摘されている「悟り」と「解脱」の違いなんてどうでもよいとは言いませんが、多くの一般人が求めている情報を鑑みれば、優先順位が高いものとは決して言えません。仮にこの本で、悟りと解脱を使い分けたり違いを説明でもしたら、ターゲット読者はきっと本を手放してしまいますよね。肝心の部分が伝わらないまま。

仏陀は相手によって語る内容を変えていたと聞きます。その意味でもこの批判は少し的から外れたものになっているのではないでしょうか。

 

原理的には正しいが…

 

「自分が先生のようになりたいかを考えて先生を選びましょう」などということが書かれているが、教え(法)と実践は別物であるから、先生の振る舞い(実践)と、「教え(法)」は別に考えねばならない。しかし、この著者はそういう態度がとれていない。自身の好き嫌いで先生を選ぶことが推奨されているが、それが正しい選択になるという保証はあるまい。得てして裏心のある人間とは親切である。
法(ダンマ)が師である。あやふやな不安定な存在(人間 ※ブッダ除く)を師としては、いつまでも不安定なままであろう。だからこそ著者は「学者」であって、そこが限界なのかもしれないが。

 

なるほど、原理としては正しい指摘だと思います。ただこれって現実的に考えてどうですか?無理がありませんか。

たとえば素晴らしすぎる完全な教科書があったとします。あなたはこの教科書さえあれば、うまく実践できると思えるでしょうか。あ、稀にはいると思いますよ。確か仏陀の教えもそうですよね。仏陀がちょっとしゃべっただけで悟れたという人たちが何人かいたと書かれていたような気がします。

でも大抵の人は、素晴らしすぎる教科書だけではダメですよね。だって素晴らしすぎる教科書を完全に理解できるほどには、素晴らしくないからです。

だから素晴らしい先生(指導者)が必要なんですね。でもその先生がホントに素晴らしいかどうかすら判断できないくらいに素晴らしくないのが私たちなわけですよ。

そういう意味ではこのレビュアーさんの↓の部分は、おおいに正しいと思います。

 

自身の好き嫌いで先生を選ぶことが推奨されているが、それが正しい選択になるという保証はあるまい。

 

ただその正しさと同じくらいに、私たちは何が正しい法なのか、誰が正しい法を理解している正しい先生なのかを判断できないことも事実だと思います。

だから自身の好き嫌いで先生を選ぶことが決して正しいというわけではなく、あくまでその方が良い選択となる可能性が高いという話にすぎないのだと私は思います。

ちなみに著者が学者だというところの著者って、魚川氏のことですよね。私の記憶だと魚川さんは何年か出家していたはずです。まぁどちらでも良い部分ですが。

 

目利き力

 

最近、対談本が増えているように感じるが、自身がこしらえた新しい見解を、権威ある、自身の見解に都合の良い人と話し、上手く誘導し共感させることで、あたかも自身の見解が認められたものとして見せたいのではという感じを受けることが多い。
そのような「慢」の煩悩から生まれた本も、心静まるブッダの言葉が記された本も、どちらも同じ「仏教」の本である。仏教ブームで数多くの本が出版されるが、読む側にも目利きが求められてきているのだろうと思う。

 

これは仰るとおりだと思います。あるマインドフルネスの本で、著者が「私はマインドフルネスによって正しいことが分かるようになったの」と言って捕鯨反対を訴えていました。

これってどうなんですかね。私には新興宗教におけるマインドコントロールを勉強していた時期があるのですが、この方向性のマインドフルネスとマインドコントロールの手法は似ているように感じます。

なのでやっぱ目利きは重要ですよね。と言っている私自身に、はたして目利き力があるのかどうか分かりませんが(笑)

ちなみにオウム事件が顕著な例ですが、日本人の多くは宗教や宗教的なものに対して十分な情報を得ようとはしませんよね。むしろ完全に距離を置こうとします。でもかえってその方が危うかったりするんですよね。恋愛経験の少ない人が詐欺師に引っかかるみたいな。

 

熱心な仏教者

 

このレビュアーさんは熱心な仏教者なのだと思います。それはとても素晴らしいですよね。

その一方で、マインドフルネスを始めとするプチ仏教みたいなものが、人生に良い影響を与えてくれたと感じる人が増えているというのもまた事実です。

しかしコノ本にも書かれているとおり瞑想難民やら、さっきの捕鯨ガー(あ、捕鯨が良いか悪いかを論じる気はないですよ。捕鯨が絶対悪とすることを問題視しているだけです)みたいな人もまた増えてるんですよね。

★1つのレビュアーさんのコメントには興味深い返信も多くあったのですが、今回はこの辺にしようと思います。

しかし自分とは全く違う視点の意見は勉強になることが多いですね。今回も面白かったです。

 

 

  • この記事を書いた人

ヨコアミジロー

東京大学卒。 貧乏ゆすりの研究者。

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