「少し考えればすぐに分かる」と大見得を切ってしまいました。
なのでいきなり本題に入ります。
人間の本能って?
人間は快楽が大好きだ。
だから快楽をもたらしてくれるものを追求する。
なのに、その大好きな快楽は長続きしない。
一瞬で終わった快楽の後にやって来るのは不満足感だ。
しかし人間は、快楽が長続きしないことをナゼか簡単に忘れてしまう。
快楽の後に待ち構えているものが不満足であることも。
そしてまた快楽をもたらしてくれるものを追求する。
どうですか。まあコレは人間に限った話ではありませんが、人間の本能であることに変わりはないでしょう。
果たしてコノ人生を幸せと思える人って、どれくらいいるのでしょうか。
いや、いるかもしれませんよ。快楽を求めて走り続ける人生、ステキやんって。
でも少なくとも、もし人が幸せに生きるように設計されているのであれば、こうはならないでしょ。
だって快楽はずっと続いた方が良いし、不満足はない方が良いのですから。
はい。ということで私がイイたいのは↓↓です。
「人間は個々の幸せのためではなく、自分たちの種(人間全体)が繁栄できるように設計されている」
じゃあ、どうせえっちゅうねん?
快楽がずっと続くのだったら、私たち人間の遺伝子が今ほど拡散されることはなかったでしょう。
快楽の後に待ち構える不満足の存在をいつも強く意識できていれば、「ナゼそこまで必死になって快楽を追求する必要があるのか、その後には不満足が待っているのに」と哲学者モードに入る人間が続出することでしょう。
「じゃあ、どうしろっちゅうねん?人間の本能だからしょうがないやろ?!」
確かに本能なのだからと割り切って、その中でエンジョイしようぜ!という考え方もできると思います。
まあでも、そんな仕方のないように思える本能を克服できるかもという手段もあって、その1つが仏教なんですね。
ちなみにコノ記事で最初に書いた人間の本能ってやつは、私のオリジナルではなく「なぜ今、仏教なのか」という本のウケウリです↓↓
ですので今回の記事で「コイツの言ってること分かるかも」と感じた方であれば、読んで損はないと思います。
良い本です。